随想・雑感 大豆たちの癖

大豆たちの癖

前評議員 的場 輝佳

偏食の私の父は、大豆が好物であった。中でも、昆布と人参の煮豆が好きで、一粒ずつ箸で摘まんでは口に運び、「栄養満点、こんなうまいものはない」と言いつつ飽きずに食べていた。子供の頃の大豆にまつわる思い出である。

40年ほど前、京大食研の「たんぱく食糧部門」に所属していた頃、恩師の鬼頭誠先生から「大豆臭の生成機構を調べてみないか」とテーマをいただき、当時、リポキシゲナーゼ(脂質酸化酵素)欠損の大豆を栽培・収集されていた喜多村啓介先生(当時、岩手大)の協力も得て研究をスタートした。以来、私の本格的な大豆との付き合いが始まった。

その頃、世界の人口増加に伴う“食糧危機”に備えることが、地球レベルの課題の一つであった。タンパク質の確保が最重点課題で、私もこの問題解決に貢献してみたいと思った。 大豆はタンパク質含量が高く、そのアミノ酸バランスも良く健康増進機能や加工特性(ゲル化性、乳化性、起泡性など)が優れているので、動物性食品に替わる植物性食品の原料のホープと期待されていた。ところが、日本人のように大豆を食生活に使う習慣を持つ民族と違って、狩猟民族の欧米人は、大豆臭に違和感を持ち、油脂以外は食品に利用しない。

もし、無臭大豆粉が製造できれば、搾油後の脱脂大豆は飼料としてだけでなく、風味に癖のない原料として多彩な加工食品に使われるとの期待を込め、豆臭除去を目的とした研究を進めた。幸いにも、“大豆たん白質栄養研究会(本財団の前身)”の研究助成をいただき、リポキシゲナーゼ(LOX)が関与する豆臭成分(ヘキサナール)の生成と消長機構を明らかにすることができた。

ところが、LOXが作用しない無臭大豆で作った豆腐は、癖のないプレーンな風味であったが、濃厚さに欠けコクがないと不評であった。ヘキサナールを加えても理想の豆腐らしくならなかった。LOXの作用で生成した脂質酸化物が大豆らしさに必要であるようだ。浸漬した大豆を石臼ですり潰せば、LOXがしっかり作用して癖のある濃厚な日本人好みの豆腐に仕上がると思っているが、未だ試していない。

かつて、遊び心から、LOXを含む大豆ホモジナイズ(水抽出物)にEPA(魚油脂肪酸)を入れたところ、強烈な魚臭がした。新鮮な魚の生臭さは、これまでの通説、トリメチルアミンでなく、LOXが作用して生成する揮発性の脂質酸化物であることを提唱した。豆臭と同じ生成機構である。これをきっかけに、生臭さと豆臭について考えるようになった。

欧米人は、魚の生臭さを好まない。海藻や緑茶も魚に似たにおいがするとして好まない。これらは彼らの食習慣に馴染みがないにおいである。また、これらは、LOXの作用で生成する脂質酸化物に由来し大豆臭とも共通する。だから、大豆臭が苦手なのだろう。近年、和食が評価されて魚や海藻(昆布など)にも馴染みつつあり、近い将来、世界の人たちが大豆の風味を好む時代が来ると期待したい。

世界一の大豆生産大国アメリカに大豆の料理はない。しかし、ネイビービーンズ(白インゲン)水煮やトマトソース風味のインゲン豆など、豆類の料理はある。さらに、落花生は焙煎豆やピーナツバターとしてその風味を楽しまれている。 食べものの“好き”・“嫌い”で、“嫌い”の原因は、“におい”であることが多い。日本人は、口の中で感じたおいしさを、味覚によると思う傾向が強いが、欧米人は香り(におい)に対する意識が強い。このような意識の差が、欧米人が大豆を敬遠する要因の一つかもしれない。

大豆に共生する根粒菌は、空気中の窒素をアンモニア態窒素に変換し、化学肥料の使用量を削減し、環境にやさしい持続可能な農業に一役を担っている。かつて訪れた、ミシシッピ川両岸のプレーリーで、地平線の彼方まで、大豆と米あるいは大豆とトウモロコシが輪作されていた大草原の風景を思い出す。

私たち人類は、地球上で展開される食物連鎖系の一構成員である。まず、独立栄養生物(autotroph)の植物が無機物から光合成により有機物を合成し生育する。それを従属栄養生物(heterotroph)の動物が有機物を食べて生育する。動植物の残骸および動物の排泄物は、微生物などの働きで無機物に戻る。地球に太陽が降りそそぐ限り、陸でも海でも食物連鎖のサイクルは永遠に回転する。植物の生育・栽培が、食料供給の原点で、畑の肉、大豆は食糧危機を解決する切り札であるといえよう。

栄養性、加工特性においても、環境保全の面からみても、万能の大豆ではあるが、風味に「癖」がある。日本人は、この「癖」をコクと感じたりする。「癖」は個性であるので、個性を生かした新しい大豆加工食品の開発に期待が持たれる。

我が家は、大豆加工食品「冷凍・枝豆がんも」が大好物で冷凍庫に常備し、和食の煮物やおでんには欠かせない。

〈奈良女子大学名誉教授〉

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