随想・雑感 大豆たん白質研究のさらなる発展に期待する

大豆たん白質研究のさらなる発展に期待する

前評議員 西成 勝好

環境問題が深刻化する中で持続可能な発展が求められ、生活習慣病による生活の質の低下、健康寿命問題などが脚光を浴びる中で、大豆たん白質などの植物タンパク質の可能性に期待が寄せられている。

食品加工における大豆について執筆の機会に、大豆の生産と利用の歴史を学び、ブラジルのアマゾンにおける生産面積拡大により、熱帯雨林が失われることを問題視した論点にも触れたが、なかなか難しい問題である。自由主義経済では、お金を生み出すかどうかで物事が決まっていくらしい。それは必ずしも長期的な展望を持っているとは見えないことも多い。

理系の教育を受けた研究者はこのような問題は文系ないしは農業経済の専門家に任せれば良く、自分の守備範囲である育種に関する問題、生産、加工、調理、流通、保存、安全などの問題、食品として摂取した後の生理機能、疾病予防など身体に及ぼす効果の問題などに専念すれば良いと考えられてきた。

今回のコロナ禍で、「専門家」の重要性が再認識されたが、一方で総合的な視点を持った指導者の欠如という問題も浮き彫りにされた。自分の守備範囲の研究をすればよいのは、その条件が保証されている場合に限ることが明らかになった気もする。専門家集団の間ですら、相互の連絡・情報・意見交換、意思疎通が不十分な場合が多い。そもそも学会というものはそれを補うためでもあるはずだが、プロジェクトのリーダーなどをしている研究者は優秀な人が多いが、それで精一杯になり、守備範囲の外のことまで時間とエネルギーを割くことができない場合が多い。それほど広範囲ではないような問題でも、違う角度からの研究が理解を進めるうえで突破口を切り開くことも多かったのではなかろうか。

食品摂取後の生理機能などの研究が活発であるのは良いが、日本の食品科学工学のなかで生産、加工、調理、流通、保存、などの研究が減りすぎたのではなかろうか。このような状況の中で,不二たん白質研究振興財団が重要な研究領域をもらさずに、異なることを得意とする研究者の交流においても、共同研究の芽を育てるような研究助成を続けてきたことは大変有意義であったと思われる。

オカラの利用、人工肉など、おいしくて健康の維持増進に貢献できるような製品の開発など、一昔前に比べれば長足の進歩がみられるが、まだまだ発展の可能性はありそうだ。このような目的を設定して、とりあえずの模範解答例になるような製品を作って、それを改善していくという努力の中で、その問題の回答を得るために、原理までさかのぼろうとすると、時として、専門家から見てそれは寄り道すぎるという批判が起こりがちである。これは無駄学の専門家が例として挙げる蟻の行列の話しに似ている。獲物を見つけた蟻は仲間と協力して巣まで行列を作って獲物を運ばなければならない。その行列から外れた蟻はさぼっているのか、無駄なことをしているのか?もしかすると、この行列から外れた蟻はもっと大きな獲物を見つけるかもしれない。できそうにないと思われることに挑戦するのをドンキホーテだとあざけるのは、もっと大きな獲物を逃しているのかもしれない。

限られた研究予算の中で考えると、最も成果を挙げそうな研究プロジェクトに予算を配分するということが普通の考え方である。しかし、研究というのはやってみないと分からないことが多い。予想がつくようなことしかやらないのでは、画期的な発見などは生まれないかもしれない。いつぞやの報道で、評価委員が数日間泊まり込みで徹底討論して採択課題を決める、そのプロジェクトの終了後に、その時の評価が正しかったかどうかが問われるというのがあった。研究者は多くの場合、必死に真面目に全身全霊を賭けている。最近、訓告処分で済んでしまった賭けマージャンの、法律を守らせるべき立場のお役人が賭けるのとは全く意味が違う。

日本では「和をもって尊しとなす」という言葉を曲解して、納得もしないで何でも賛成するのが良く、質問などするのはケチをつけることだという風習が根強かったが、不二たん白質研究振興財団では、この悪習を改め、活発な質疑応答がなされてきたことは良き伝統である。この財団で選考委員、評議員を仰せつかり、異なる領域の専門家の方々の研究に接する機会が得られたことに感謝するとともに、大豆たんぱく質研究のさらなる発展を期待したい。

〈大阪市立大学名誉教授・湖北工業大学招聘教授〉

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