随想・雑感 醤油(soy sauce)と大豆(soybean)

醤油(soy sauce)と大豆(soybean)

評議員 春見 隆文

大豆は縄文時代早期(紀元前8,000年)に原種のツルマメから進化し、同中期(紀元前4,000年頃)には栽培型として存在していたことが土器の痕跡から明らかになっています(中山、2015年)。弥生時代に大陸から伝播したとされる稲よりもはるかに古い歴史をもつ作物です。そのせいか、煮豆、豆腐、ゆば、油揚げ、味噌、醤油、納豆など、日本人は様々な形で大豆を巧みに利用してきました。大豆の英語名はご存知のようにsoybeanです。このsoyは醤油(soy, soi, soya)から来たものと言われており、醤油の英語名はsoy sauceです。私は現在、醤油関連の仕事に従事しています。そこで、大豆とは切っても切れない間柄の醤油について雑文を認めたいと思います。

醤油は、煮した大豆と煎った小麦にこうじ菌を繁殖させ、これに塩水を加えて一定期間(通常6〜8ヶ月)、発酵させて作ります。至って単純な工程ですが、原料の種類や混合割合、こうじ菌と他の発酵微生物(酵母、乳酸菌など)の生育、熟成期間などにより、色、香り、味など、バラエティーに富んだ製品が出来上がります。大豆のタンパク質はこうじ菌の酵素で旨味の素であるアミノ酸・ペプチドに、小麦のデンプンはブドウ糖などに分解されて甘味成分となります。さらに、糖、アミノ酸は酵母や乳酸菌の働きで有機酸やエステルなどに変換され、あの芳醇な香味が醸し出されるのです。

醤油の歴史は、記録上は飛鳥時代の大宝律令(701年)に、宮廷の大膳院(調理所)にある醤院(ひしおつかさ)でつくられていたことを示す記述が見つかっています。当時は天皇や皇族など、一部の高貴な人々だけが口にできる貴重な食品であったようです。元々の起源は中国・周王朝時代の醤(ひしお)とよばれる肉、野菜、穀類などを自然発酵させた貯蔵食に由来するとの説が有力です。弥生時代あるいは古墳時代に日本に伝来したとの説もありますが、正確なところはよく分っていません。市井での製造・販売が行われるようになったのは、ずっと下って鎌倉時代。中国に修業した禅僧、覚心が経山寺(金山寺)から持ち帰った味噌(金山寺味噌)を、自分の興した紀州湯浅の興国寺で製造し、伝えたのが始まりとされます(1254年)。醤油とはいっても、味噌をつくる過程で醪(もろみ)から溶け出した現在のたまり醤油のようなものだったのでしょう。醤油の「油」は「あぶら」そのものではなく、油のようにとろりとした粘稠な液体を指すことからもそのことが伺い知れます。

和食がユネスコの無形文化遺産に登録されて5年余、世界の和食の店舗数はこの10年間で約5倍、12万軒弱に達しました(農水省統計、2017年)。また、海外からの訪日外国人数も年々増加し、昨年度は3,000万人を超えるまでになっています。そのインバウンド需要が各方面で期待されていますが、日々の必需品である食への効果もかなり大きなものがあるはずです。これを裏付けるかのように、昨年度の醤油の海外輸出量(現地生産を含む)は約30万キロリットル、前年比107%と好調でした。輸出先は欧米、アジア諸国など60カ国以上に行き渡っています。

ところで、醤油の輸出はごく最近始まったと思われるかも知れませんが、実は江戸前期の正保4年(1647年)に遡ります。鎖国令により海外との交易が禁止されていた当時、唯一の例外であった長崎出島からオランダの東インド会社によって同社の台湾商館宛に10樽の醤油が積み込まれたのが最初とされています。香辛料を買い付けて欧州に運ぶことを主な任務としていた東インド会社が、スパイスの一種として興味をもったのでしょう。欧州に運ばれた醤油はソースやスープに混ぜて肉料理などに使われたといいます。「朕は国家なり」のフランス・ルイ14世がベルサイユ宮殿で開催した晩餐会で、醤油を使った料理で饗したという逸話が残っているように、日本の醤油は「珍味」として欧州で高い評価を得ていたようです。

少子高齢化や消費者の減塩志向などに伴って、国内での醤油の消費量は年々減少の一途をたどっています。その一方で昨今、海外では日本の食文化を体感できる新しい調味食品として広がりを見せています。そこでは醤油を料理にそのままかけて食べたり、煮物などに使う場面はほとんどなく、主にスパイスとしてシーズニングに使います。自然の恵みと伝統的な発酵技術によって醸成された醤油の奥深い香りと味、色などが、国境を越えて幅広く調理を演出できることを示すもので、醤油の機能の新たな発見にもつながり、興味深いものがあります。今後、さらにグローバルな食品として拡大するに連れ、様々な形態、用途が開発されていくものと思われます。

ここで述べた醤油(soy sauce)は大豆(soybean)の利用形態の一つに過ぎません。大豆の原産国の一つであり、他に例をみないほど大豆の利用に知恵を傾けて来た日本には、今後も植物タンパク質資源としての大豆を研究及び用途開発の両面から世界をリードし、発信し続けていく使命があると考えます。貴財団にはその先導役としての役割を期待します。

〈一般財団法人日本醤油技術センター 理事長〉

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