随想・雑感 南方熊楠に学ぶ研究のこころ

南方熊楠に学ぶ研究のこころ

評議員 松澤 佑次

私が阪大の教授時代の講義で、しばしば私の故郷である和歌山県田辺市の偉人、南方熊楠の研究の心を学生に紹介した。熊楠の生き方が医学をはじめ多くの研究者にメッセージを与えてくれているからである。

あまり有名でなかった熊楠がようやくメディアでも取り上げられつつあるのは、地球規模での環境破壊が今世紀の最も重要な課題になっている今、19世紀からすでにそれを予見し、自然保護にすさまじい情熱を燃やし、特に熊野古道や鎮守の森を開発から守った先見の明が多くの人々に感銘を与えているのであろう。しかし私にとって、また多くの熊楠ファンにとって熊楠を崇拝する理由は、かの柳田国男をして「日本人の可能性の極限か、又時としてなほ一つ向こふか、と思うことさえある」と言わしめたいわゆる従来の日本人の常識を超えた生き方が、私たちに今後の向かうべき方向を示してくれているからである。

南方熊楠は1867年(慶応3年)に和歌山市に生まれ、東大予備門を1年で中退し、19歳から海外を放浪、青年期に大英博物館勤務を通じて学問的研鑽に費やした後、帰国して和歌山県田辺市で過ごし、植物学、博物学、民俗学などを中心に幅広い思索を展開した一種の思想家ともいえる学者である。

私は田辺市の彼の自宅から数百メートルしか離れていない場所でしかも彼が波乱に満ちた生涯を終えた昭和16年に生を得たこともあって、学生時代からことさら関心が高かった。子供のころから地元で聞かされていた評判は、必ずしも肯定的なものばかりでなく、百科事典をまるまる一冊を記憶だけで写本したとか、ロシアの皇太子にご進講するときにロシア語会話を1週間で習得したという驚異的な記憶力に加え、彼の奔放な言動など一種の奇人としての面が強調されたものであった。たとえば、白浜、田辺に行幸された若き昭和天皇に、彼の専門である粘菌について進講する際に、森永キャラメルの箱に標本類を入れて差し出したという逸話があまりにも有名であった。しかし昭和天皇は、「それでいいのではないか」といって、むしろ熊楠の無垢な人柄を愛されたとのことであり、これものちの再び田辺を訪れた昭和天皇が、「雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」と詠まれたことで証明されている。

私が医学研究に身を染めるようになってからは、熊楠の著述や彼の伝記を読み進むにつれて単に同郷の偉人であることに止まらず、後世の研究者に重大なメッセージを送ってくれた偉大な先達として私の中でその存在がますます膨張していくのである。

粘菌学や博物学における表面的な業績を見ただけでも、Nature誌に50篇、他の英文ジャーナルに350篇掲載されている事実や、西欧コンプレックスを全く感じずに意気軒昂に論争して、欧州の権威者を打ち負かしていた経歴からは、19世紀当時の日本の実情からはもちろん、現在の研究界においてもかけ離れた国際性が示されている。一方熊楠がNatureなどの誌上で大きな敬意が払われていた理由としては、一つには自らの学問的基盤たる和漢籍から得た知識を信頼し、非西洋世界側からの発現を貫いたことによる部分も大きいと考えられるのである。彼は「小生が海外で出したるものは、おそらくわが邦の書籍を欧州のものと対等に引用し、彼方のものは困るにかかわらず、押しつけて一々わが邦の書籍を欧州書同様に長々と丁付巻付けを本文中に印せしめたはじめと思う。また志那・欧州書に出てあることも、なるべく邦人の書に出たる方を多く引き置いた」と記している。これは現在の研究者が、せっかく日本に素晴らしい研究が存在しても、ややもすれば西欧の権威者の研究を優先して引用しがちになることに対する教訓ともとれる。つまり、西洋かぶれ的な国際性ではなく、愛国心を基盤とした国際性の重要性を示してくれたのである。

さらに、私たちに大きなメッセージを与えてくれるのは、彼が高野山管長の土宣氏との書簡の交換で展開した学問論である。その中で私が理解できた最も重要なキーワードは、「事の学」である。世の中の現象すなわち「事」は、本来物質の世界、即ち「物」と精神の世界、即ち「心」のまじわるところに生まれるという。彼の考えでは、単に「心」だけのものとか、「物」だけのというのは人間の世界にとっては大した意味はなさず、あらゆるものが「心」と「物」が交わり合うところに生まれた「事」として現象しているというのである。彼は「小生はなにとぞ、心とものが交わりて生じる「事」によりて究め,心界と物界はいかに相異に、いかにして相同じきところあるか知りたきなり。」と記している。この概念は医学や生物学において本質を突いたものであることに異論はないであろう。もっと俗っぽい解釈を行うと、病という生体現象はまさしく物と心が交わるところに生じるわけで、先端機器やコンピューターさらにはiPS細胞を用いた再生医療などの応用など、人間を物としてみる傾向のある今日の医療において、最も求められる概念である。

現在、熊楠の脳が大阪大学解剖教室に保存されている。驚異的な記銘力を自ら認識していた熊楠の遺言によって大阪帝国大学病理学の森上助教授が南方家の庭で解剖を行い、当時側頭葉の溝の発育が特に優れているとの報告がなされたという。熊楠が自らの記憶のメカニズムが今後の科学の発展で解明できることを後世に託したものと思われるが、記憶に関する分子機構の解明がなされつつある現在、彼の遺志に応える研究成果がでること期待したい。

〈住友病院院長〉

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