随想・雑感

退任にあたって

前理事 島田 淳子

  この度理事を退任いたしました。本欄に執筆の機会を頂きましたので、あっという間に過ぎ去った13年間を振り返って若干の感想を述べてみたいと思います。

 私は本財団設立が認可された平成9(1997)年4月に理事になりました。それまで組織化大豆たん白質の調理的性質について少し研究した経験があるのみで、恥ずかしながらほとんど白紙の状態での就任でした。

 就任して、役員の方々の醸し出す熱気に驚きました。研究の意義、研究助成の方針、研究成果の評価など、一つ一つに対する高い理想とそれを遂行しようとする気迫が、並々ならぬ熱気となって伝わってくるのです。

 そのわけはまもなく分かりました。本研究振興財団が公益性ある財団として文部科学省から認可されたその時に至るまで、大豆たん白質研究についての長い歴史があったのです。そして就任された方々のほとんどが、研究の発展に尽瘁されていらした先生方だったのです。

 本財団設立時を18年も遡る昭和54(1979)年に、「大豆たん白質栄養研究会」が不二製油株式会社の中に設立されています。この会は、当時その必要性が地球的規模で叫ばれていたたん白質資源、特に大豆たん白質の栄養についての基礎的研究並びに応用的研究の進展を計ることを目的としたものです。平成3(1991)年には「大豆たん白質研究会」と改称され、研究領域および分野が拡大されております。

 この会の設立には、当時不二製油株式会社の社長でいらした西村政太郎氏の強い熱意があったと聞きました。ある時私は氏と親しく会話する機会に恵まれました。戦後まもない昭和25(1950)年に、資本金わずか300万円で設置された不二製油。その舵取り役としての就任された青年実業家の氏。大豆たん白質食品のいち早い生産開始。どんなにか大変でいらしたと思いますが、氏は、「どんなに苦しくても研究の推進こそが大切。先生方のお知恵こそが大切と思ってやって来た」とおっしゃいました。

 氏のこの強い方針と先生方の情熱が互いに感応し合って、本研究振興財団設立時の熱気となって表れたのだ、と納得いたしました。

 氏の方針はそのまま今に伝えらえているように思います。本財団の理事長は、西村氏から安井吉二氏、浅原和人氏、海老原善隆氏へと変わりましたが、理事長のご挨拶はいつも、資金の心配はしないで研究を推進されたいというものでした。この13年間日本経済は低成長の時代でしたし、今年などは東日本大震災によりいくつかの工場で被害を蒙り、研究所も少なからず影響を受けたと聞いています。けれども海老原理事長からはそんな暗い事実を補って余りある明るい状況のお知らせがあり、安心して研究に邁進してほしいとのお気持ちが伝わって来ました。研究者にとって本当にありがたいことだと思いました。

 こうした歴史を持つ不二たん白質研究振興財団は、安定した財政的基盤と関係者の熱烈な思いによって、この10余年間発展してきたと思います。

 特に大豆たん白質およびその関連物質に関する生理学的研究の多彩さには目を見張るものがあります。素人の私は大豆たん白質および関連物質が生体内でさまざまな反応に関係し有用性を発揮することにただただ感嘆するのみです。しかし当然のことながら、クリアカットな結果を示すこれらの研究は人間そのものを用いたものではありません。

 翻って、一般消費者はこのような素晴らしい生理的機能を有する大豆たん白質をスーパーなどで簡単に入手し、自分の手で調理して食べることができるだろうかと考えてみますと、残念ながら大豆たん白質はそんなに身近な存在ではありません。

 澱粉、油脂、ゼラチン、寒天などが食品材料の1成分でありながら、同時に独立した食品材料として一般に使用されているのに比べたら雲泥の差です。なぜでしょうか。澱粉や油脂などには明確な調理機能が存在し、それが一般消費者にも浸透しているからだと思います。 

 今の日本社会には強い自然回帰と健康志向があります。日本の食生活に古くから使われてきた大豆のたん白質がこんなにも優れた栄養・生理機能を有することは、日本人にとって大きな誇りです。大豆たん白質が一般消費者にとってもっともっと身近なものになることを願わずにはいられません。このためには大豆たん白質の調理機能に関する基礎的研究が急務であると思います。今年度の研究報告会ではその芽が出始めているのを感じました。今後の発展を期待したいと思います。

 これからの財団を支えて下さるすべての皆様に、これまでの発展に尽力されてきた方々の熱い願いを汲み上げて、本財団を一層発展して下さることを期待いたします。

 長い間、本当にありがとうございました。

〈お茶の水女子大学名誉教授・昭和女子大学名誉教授・昭和女子大学客員研究員〉

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