随想・雑感

総合化と倫理観

選考委員 松野 隆一

 20世紀の科学技術は細分化の科学技術といわれました。複雑な現実の問題はなかなかその実体がわかりにくいので、問題を細分化し、どんどん自由度を下げ、断定的な結果を求めて研究を進めてきました。その結果得られた大きな成果は語り尽くせないものがあり、今日の文明に反映されています。このような細分化研究は21世紀においても益々深めていかなければならないのは勿論です。しかし、これらの細分化研究を総合して実際の場まで再構築する研究、すなわち総合化研究の充実が、21世紀に生き残っていくための最重要課題の一つであり、細分化研究の成果をより人類や生物圏のために役立たせる道でもあります。しかし、総合化は著しく困難で難しい課題です。それは、総合化の対象である現実の問題が著しく自由度が大きな場であり、また、細分化研究によってわかったそれぞれの自由度に関する知見が非線型に絡み合うからです。

 さて、気のせいでしょうか、バブル崩壊と機を一にして科学技術や社会の諸々の問題において、総合の難しさを痛感させられる出来事が続々と起こっています。科学技術においては、阪神淡路大震災1年前のロスアンゼルス大地震での高速道路の橋が落ちるのを見て専門家が日本では起こらないと豪語したのに阪神高速道路が倒れてしまったのが象徴的でした。素直に専門家は詫びておられましたが、そのころ驕りが蔓延していた我が国の状況から、決して専門家を責める気持ちにはなれませんでした。その後、もんじゅのナトリウム漏れ、動燃の火災、エイズ、牛乳工場の食中毒問題、BSE、SARS、鳥インフルエンザ、トラックなどなど、総合化の難しさをひしひしと感じました。私はこれらのことから、二つの衝撃を受けました。一つは社会のために役立てようと必死に努力した結果が裏目に出ることが頻繁に起こりうるということです。例えば、エイズの問題では、患者さんに、より有効な血液製剤を提供しようとして、膜技術を使った非加熱製剤を作ったのですが、総合的に見てさらに重要な因子を見逃し多くの人々に苦しみを与えてしまった、すなわち、より高度の総合化に達することができていなかったわけです。BSEの原因はいまだ確定しているわけではありませんが、飼料に加えた肉骨粉が原因ではないかといわれています。持続可能な社会を構築することが、21世紀の課題です。そのためには資源、食資源の有効利用と廃棄物の削減が肝心です。廃棄物である肉骨粉を使ってより効果的な牛の成育を行うことは考えられる有効なひとつの選択肢であったと思います。ところが、別な、そのときには分からなかった因子があって、それまでをも含めた総合化ができなかったわけです。これらの別な因子に気付かなかった人を責めるのは簡単ですが、ここでは私達人類が予めそれらの因子を的確に把握できる域に達していないと謙虚に認めて、努力をしなければならないと思います。何らかの活動が行われると宇宙のエントロピー、すなわち無秩序さが必ず増大するというのが熱力学の第二法則です。これは、活動が好ましいことであったとしても残念ながら秩序の乱れも伴うことを意味しています。このことは先に述べたことを暗示しており、謙虚な気持ちにならざるをえません。第二は、SARS、鳥インフルエンザの衝撃です。この現象を目の当たりにして、歴史上に起こったという、忽然と文明や都市、国家が消滅するという事実がありうるのだという事を実感しました。特に、今日のようにグローバリゼーションが極度に進んだエントロピーの増大しやすい社会においては。

 総合化は科学技術だけでは成功しません。生々しい当事者の心、社会や世界の人々の心、文化や宗教を含めた総合化がなされなければなりません。ここにおいて、総合化に倫理観が不可欠となるのです。残念で涙さえあふれてくるのですが、倫理観に悖る行為をしてしまい永年築き上げた名声や人生を一挙に棒にふり、組織をすっかり駄目にしてしまう事例が多数報道されます。政治家、医療関係者、大学関係者、巨大企業、食品企業、さらに報道関係者そのものなどです。私にとっては、大学関係者、食品企業のそれは悲しい思いです。しかし、他人を非難することはできないかもしれません。倫理観喪失の事例がこのように常態であるとすると、私達個人個人が知らぬまに倫理観に悖る行為をしているかもしれないのです。謙虚さが必要なことを痛感します。かつて、高い倫理観を持つことは人間にとっての目標でしたが、今やそれなしには世の中を渡っていけなくなった社会状況になったのではないでしょうか。

〈京都大学名誉教授〉

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