随想・雑感

思い出すことごと

選考委員 野口 忠

 永年勤務した大学を停年で退職しまして、新しい職場に迎えられたこの頃、少しずつ仕事の締めくくりをしたいと思うようになりました。不二たん白質研究振興財団の財団時報に一文をとのお話がありましたので、少し思い出話をさせていただこうかと考えました。

 日本人にとりまして、大豆はあまりに身近なものですから、それが私達にとっていかに大切な食物であるかということを、私も特に意識することがありませんでした。はじめにこの固定概念ともいうべき観念を打ち破ってくださったのは山田浩一先生でした。先生は応用微生物学の泰斗でおられましたが、その講義の中で、「いま大豆たんぱく質の利用が大変な注目を集めています。アメリカで、大豆たんぱく質を繊維状にした素材で作ったステーキを食べると、大豆たんぱく質とわからないほどです。」といった趣旨の話をされました。もう、40年も前のことです。大豆たん白質研究会の懇親会で、大豆を素材とした料理をごちそうになる度に私は山田浩一先生を思い出します。がんもどきがとっくに「雁擬き」でなくなっている今日、もう、「大豆とわからない」という時代ではありませんが、私にはいまでもその時の先生のお姿まで思い出される衝撃的なことでした。

 もう一つ、大豆からいつも連想する研究に鈴木梅太郎先生のお仕事があります。残念ながら私は、鈴木先生のご声にふれたことはありませんが、先生の論文がいかに時代を超越したものであるかは、栄養学を学ぶ者として身に沁みて実感されます。1920年の論文で、鈴木先生は、多くの食品についてジアミノ酸(塩基性アミノ酸)の定量結果を比較され、穀類のたんぱく質の栄養価が動物性たんぱく質の栄養価より劣る原因を「ジアミノ酸の含量からだけ判断するとすれば、リジンが原因と考えざるを得ない」と看破しておられます。

当時、やっと食品のジアミノ酸を定量することが可能になったのでしょう。80年以上前のことで、ケルダール法すらまだ新しい方法であった時代です。そして、さらに先生は、「しかし、大豆だけは例外である。大豆のたんぱく質は、まさに動物のたんぱく質に匹敵する栄養価をもっている。」と強調しておられます。私の子供の頃も、「大豆は畑の牛肉だよ。」とよく教えられましたが、このような研究結果が広く知られていたからだと思っております。

 その後、鈴木先生は、たんぱく質をアミノ酸で置き換える研究を展開され、さらに、どのアミノ酸が必要かという研究をされました。理化学研究所の前田司郎氏を指導されて、ついにスレオニンを発見されますが、この過程でアメリカのRoseと激しい競争をされます。現在、スレオニンの発見者はRoseということになっておりますが、私は、当然鈴木、前田両先生の貢献はもっと高く評価されるべきだと考えております。20世紀の初めに、大豆について先生のような考えを持っていた人が世界にいただろうかと、私はいつも考えております。

 おいしくて、安全な食材を、安定して供給するという大変な事業を、消費者が通常必ずしも実感しないという状況のもとで進めておられる、食の産業にかかわる方々のご努力には、つねに敬意を表しております。不二大豆たん白質研究会で発表される研究内容の発展も目覚ましいものがあります。大豆は、人類を支えていく究極の食材の中心に据えられる一つであると確信しております。大豆たん白質栄養研究会設立の時代から、20年以上にわたりましてご関係の皆様からいただきましたご厚情に改めて深謝申し上げますとともに、不二たん白質研究振興財団とそれを支えておられる不二製油さんの益々のご発展をお祈りするばかりです。ただ、この上なく尊敬申し上げておりました井上五郎先生、芦田 淳先生のご温顔を拝することができなくなりましたことが残念でなりません。

〈中部大学応用生物学部〉

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