随想・雑感

大豆の名の由来

選考委員 森田 雄平

 ダイズのラテン語学名はGlycine max(L.) Merrillですが、Glycine(グリキーネ)というのはギリシャ語の甘いという意味のglukusからきています。この植物の最初の命名者は Linne でインゲンマメ属に属するとしてPhaseolus Maxとしました。その後別属がたてられ幾つかの改名があって最終的にMerrillが命名したのですが、属名の意味が何が甘いのかは現在すでに明らかではなくなっています。また種小名のmaxも、もとはLinneが採集したスリランカ地方で豆という意味だったと言われていましたが、これも明らかではありません。さて、ダイズの野生種が発見されて、Glycine ussuriensis Regel, Maackと命名されていますが、この名称からも明らかなようにダイズの原産地はウスリー河流域を中心とする中国東北部と考えるのが一般的に受け入れられています。栽培種ダイズは中国固有の作物として古代には菽という字があてられて‘そう’または‘しゅう’と発音され、soyという欧米語はこれに由来すると言われています。後漢の時代に許愼が著した「説文解字」によれば、菽の初文叔は大豆が結実した様を表わす象形文字であると解説されていますが、白川静「字統」では金文を分析して、この初文は戈の下から光が出ている様を表した白いという意味を持っているので、菽は単に音声を借りたものであると述べています。

このように中国固有の作物が随分古くから栽培され重要な食糧とされていたのは古い文献からうかがうことができます。紀年の明らかな記録としては、「春秋」の中の魯の定公元年(紀元前509年)の項に「冬十月霜隕ちて菽を殺らす」と述べられています。これより古い現存の記録は「詩経」に多く見られます。国風の一篇七月には西周初期の農耕の暦が歌われているなかに、収穫作物として「黍稷重穆 禾麻菽麦」と記され菽の文字が見えます。この詩は周公旦の作と伝えられるので、紀元前12世紀末にまで遡ることになります。さらに、大雅の生民篇に周王朝の伝説上の祖先后稷が「菽を えた」と歌われているのを見ると、約4000年前から栽培されていたと推定されます。

ところでこれらの古典には菽とともに豆という文字がしばしば記されています。ところがこの字は、この時代ではまめを表わす字ではなく、食器を意味していました。豆はもともと供物を入れる脚長の高杯の象形文字です。この菽と豆の意味は、ずっと時代が下って紀元前1世紀の漢の頃までは間違いなく使用されていたことは、班固が著した「漢書」の地理志のなかに記されていることからも明らかです。

一方で6世紀に著された「斉民要術」という書のなかに、すでに現存しない漢代の農書「氾勝之書」がしばしば引用されていますが、その中にはダイズを大豆と書き表わされています。また、後漢の時代に著された農事暦「四民月令」のなかにも「氾勝之書」が引用されて、すでに大豆・小豆の文字が見えます。「斉民要術」の中に魏の時代に書かれた辞書「廣雅」の一部を註として引用したのに、ダイズを菽、アズキを荅(とう)と記されており、あえて推理すればこの荅が同音の豆に転換され、同時に大小がこれに付け加わったのではないかと思われます。いずれにしてもこの転換は紀元前1世紀から2~300年の間に起こったようですが、その経緯は謎です。なおまた大豆は漢音で‘たとう’と呼び、現在も中国ではこの発音が用いられています。わが国では伝来以後豆腐、豆乳、納豆などの加工品に、また豌豆、蚕豆、菜豆などの他の豆にはこの‘とう’という発音が使われているのに、なぜ大豆の種類だけに限って‘だいず’という呉音が伝来流布したのかについても色々と推理はできますが、真実のところはよく分かりません。大方のご教示を仰ぎたいものです。

〈京都大学名誉教授〉

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