随想・雑感

財団設立に寄せて~基礎を築いた人々~

理事 新山 喜昭

 1979年不二製油株式会社の後援で設立された大豆たん白質栄養研究会(以下研究会)は大豆たん白質研究会を経て、昨年4月不二たん白質研究振興財団へとその装いを変えた。当初より研究会委員の一人に加えて頂いた私にとっても、この19年間の歩みを振り返ると感無量である。そこで、この小文では財団の基礎を築かれた不二製油株式会社の方々の永年のご努力と初代研究会委員長井上五郎先生(徳島大学医学部教授:当時)のご功績について記したい。

西村理事長(不二製油株式会社社長:当時、名誉会長:現在)と初めてお会いしたのは研究会発足時で、大豆油抽出後の脱脂大豆粉から分離した純度の高い大豆たん白質(SPI)を人の食糧として有効利用することを目指しており、そのために、その栄養の問題を基礎と応用の両面から研究して欲しいとのことであった。戦争中、主食の代替品として配給された脱脂大豆の不味さを経験した私は、この新しいたん白質が広く食用として利用し得るか否かに一抹の疑念を懐いたが、お人柄を反映した穏やかなお話し振りの中に、これに賭ける熱意を感じ取ることが出来た。

発足した研究会では研究助成金の配分、その成果の発表、大豆たん白質に関する啓蒙活動等が行われた。助成研究費を理事会にお願いする際、予定額を上回ることがしばしばであったが、西村理事長のご決断でいつも気持ちよく応じて頂けた。毎年開かれる研究発表会では終日、熱心にご傾聴され、息抜きに会場を抜け出すことの多かった私は大いに反省させられたものであった。ある発表会終了後のご挨拶の中で「大豆たん白質に特有な生体への作用はないのだろうか」という意味の問い掛けをされたことがあったが、機能性食品の概念を先取りされた深い洞察力は印象に残っている。

地球的見地に立って脱脂大豆の有効利用を考え、その実現のために研究会をつくられた西村理事長はノーブレス・オブリージを果たされた経営者であるが、その温厚なお人柄、周りの人々への気配りも研究会の発展に大きく寄与していると考えている。

次に、1979年から1991年迄、研究会の委員長を務められた井上五郎先生のご功績についてご紹介申し上げる。先生は第二次世界大戦終結(1945年)後間もなく京都府立医科大学生理学教室(主任吉村寿人教授)で「低たん白質栄養と人体生理機能」についてご研鑽を積まれ、その後も一貫してたん白質栄養の研究をされてきた方である。就中、摂取たん白質の利用効率が同時に摂取するエネルギー量に大きく左右されることを示した研究は、「人」のたん白質所要量策定に理論的根拠を与え、国際的にも高く評価された。この研究は日米医学協力計画・低栄養部会(後に栄養異状部会)で発表されたが、米国側部会長 N.S.Scrimshaw博士(マサチューセッツ工科大学)の注目するところとなり、その後、同博士との共同研究に発展すると同時に両者が親交を結ばれる端緒となった。

前述したようにSPIの人体利用を強く望んでおられた不二製油株式会社の要請を受け、1977年井上先生は魚肉(たら)たん白質とSPIを各々50%含んだ混合たん白質の栄養価を検討された。その結果、この混合物の人における利用は魚肉のそれと同等であることを明らかにし、SPIが人の食糧として有用であることを示された。1978年米国キーストン市で開かれた「大豆たん白質の栄養」に関するシンポジウム(ラルストン・ピュリナ社主催)に井上先生は不二製油の谷口 等氏とともに出席された。これらのことがその後の研究会設立へとつながった。余談ではあるが当時ラルストン・ピュリナ社のSPIを用い研究を始められていたScrimshaw博士は日本に於けるこの研究会の発足を大変喜ばれたと聞いている。

ところで井上先生のご功績の最大のものは我国のたん白質栄養研究の第一人者たちに研究会委員としての参加を懇請され、それに成功されたことである。この背景にはざっくばらんで誰からも好感を持たれた先生のご性格も与って力となったと思われるが、この委員の人選がその後の研究会発展の基礎となったのである。

先生は研究会の委員長としてのみでなく理事も兼ねられ、理事会と委員会の意志疎通を計り会の発展に貢献された。毎年の研究報告会は勿論のこと、啓蒙活動の一環として行われた講演会(今迄三回行われた)を企画、立案され、実施に移された。また、1987年10月に大阪で開催されたAsian Congress of Nutritionでは会長をされたが、そのサテライトシンポジウムとして研究会主催で「人体栄養と大豆たん白質」を取り上げ、その中でも先生は、成人でSPIが良質の動物性たん白質に匹敵する栄養効果を持つことを明らかにし、その有用性を示された。このシンポジウムにはScrimshaw博士、Young博士を始め世界各国の大豆たん白質研究者が参加され、その成果は" “Soy Protein in Human Nutrition,edited by G.Inoue;published by The Resarch committee of Soy Protein Nutrition (Japan), 1987”として出版されている。

以上、財団の礎となった大豆たん白質栄養研究会への井上先生のご貢献、ご功績の一端を記した。先生は1990年頃より漸次体調を崩されたので、1991年には委員長を藤巻正生せんせいに託され、以後は理事職に専念されることとなった。しかし、この頃から時々会を欠席されるようになり、1996年1月遂に帰らぬ人となられた。学生時代から約50年近く先生のご薫陶を受けた私にとって殊に淋しく、誠に残念なことであった。

最後に研究会発足後間もなく会の事務を担当された不二製油株式会社 宮口憲次氏について一言書き加えたい。私は会誌作成のお手伝いをさせて頂いたこともあって、同氏とはお会いする機会が多かったが、誠実に会務をこなされた方であった。連絡のため会社の休日にもかかわらず徳島迄来られることもしばしばであったが、1993年12月若くしてお亡くなりになった。ご来徳翌日のことであった。無理をされたのではと今でも心痛む思いで一杯である。この陰の功労者に感謝するとともに、そのご冥福をお祈りして擱筆する。

(1998年5月5日 記)

〈徳島大学名誉教授〉

  • 随想・雑感