随想・雑感 食育と大豆

食育と大豆

前選考委員 國分 牧衛

食の大切さは古くから広く認識されており、健全な食事は適切な運動と並んで健康の基本であることは論をまたない。食のあり方に関し、近年では「食育」という言葉が盛んに使われている。「食育」は文字通り「食に関する教育」である。わが国では2005年に、世界的にもユニークな「食育基本法」が施行され、食育は教育の現場で、さらには家庭・社会の中でも重要な課題となった。食育基本法では、健全な食品の選び方や摂取方法、食卓や食器などの食環境を整える方法、くわえて食の生産や食に関する文化など、広い視野から食について教育する必要性が謳われている。従来、学校教育といえば、知育、徳育、体育が基本であったが、食育基本法では食育を、「生きる上での基本であって、知育、徳育及び体育の基礎となるべきもの」と位置付けており、様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てる教育を推進することが求められている。食の生産に関わる仕事に携わってきた者として、このような法整備がなされたことは喜ばしい。同時に、法として規定しなければならなかった背景が憂慮される。すなわち、食の適切な選択や生産、伝統的な食文化の継承に大きな懸念が生じたからに違いない。

食育基本法では、わが国の伝統的な食文化の継承について総合的な教育を行うと規定されている。伝統的食文化を担う食材についての具体的な記載は無いが、大豆は栄養学的にも、食文化の側面からいっても、食育の理念に適う中心的な食材であることに異論はなかろう。大豆はタンパク質と脂質を多く含み、無機質やビタミン類にも富む。日本を含む東アジアや東南アジアでは多様な大豆食品が食生活の基盤となっている。近年では、イソフラボンやペプチドなどの大豆に多く含まれる機能性成分の健康への効果の解明が進み、大豆の食材としての価値は一層高まっている。大豆の栄養面でのこのような価値を初等教育の段階で学ぶことは、成人になってからの食生活を大きく左右する。拙文「すがたをかえる大豆」(光村図書―国語小3教科書掲載)は、大豆の調理・加工方法について説明したものである。この説明文では、大豆の食べ方を煮豆などのシンプルな方法から発酵などの現象を活用した高度な加工法まで、美味しく食べる工夫を重ねた先人の知恵と工夫を記述した。幸い、文章の書き方としての教材に止まらず、大豆の調理・加工法を通じた食文化への理解と関心を喚起する教材として活用されており、著者としてうれしい限りである。

食育基本法では、食の生産に関しても言及されており、「環境と調和のとれた食料の生産及び消費の推進並びに食料自給率の向上に寄与すること が期待されている」と記載されている。しかし、わが国の大豆生産量は1920年前後に50万tを越し過去最高を記録したが、その後長期的には減少傾向にある。近年の300~400万トンに達する年間需要量の大部分を輸入に依存しており、自給率はわずか数%にすぎない。大豆生産を復活させるには、生産技術の改良だけでは不十分で、消費者を巻き込んだ形での多面的な方策が必要であろう。

ダイズは植物としてもユニークな特性を有している。根粒菌との共生による窒素固定、調位運動、無駄花が多い特性など、イネやコムギなどの主 要作物とは際だった違いがある。また、遺伝子組み換え品種の栽培面積がもっとも多い作物であり、先端的な科学技術を学ぶ上でも好材料である。南米では1970年代以降、ダイズ作を中心に不耕起栽培技術が急速に普及した。この技術の最大のメリットは土壌流亡が防止できることであるが、雑草防除が困難である点が大きな問題であった。そこに救世主として登場したのが除草剤耐性を備えた遺伝子組み換え品種(GM品種)であり、農家の圧倒的な支持のうえに急速に普及したものである。このように生産者に歓迎された遺伝子組み換え技術ではあるが、わが国や欧州では遺伝子組み換え大豆の安全性に懸念を持つ消費者が多い。新しい技術を用いて生産された食材と消費者の受容に関する社会科学の好適な材料でもある。植物・作物としての「ダイズ」、食材としての「大豆」はいずれも食育の格好の教材であり、大いに活用したいものである。

〈東北大学名誉教授〉

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