随想・雑感 大豆は世界を救う

大豆は世界を救う

前評議員 渡邊 昌

早いもので私が財団とかかわりをもって四半世紀になった。1990年の日米医学会議でホルモン関連がんの発表を頼まれ、日本人には乳がん、前立腺がんなどが白人の数分の1しかないことにびっくりし、国民栄養調査や県別死亡率などを調べ、大豆摂取量が多ければがんが少ないということを発見したのである。大豆の何が関係しているのかを調べ、イソフラボンではないかと考え、ヘルシンキ大学のアドラークロイツ教授に共同研究を申し込み、尿を比較して日本人はイソフラボン摂取の多いことが確認できたのである。この結果をランセットに短報として報告したが、600以上も引用され、人への効果を示すイソフラボン研究の嚆矢となった。この縁でメッシーナ博士などと国際的な研究ネットワークができ、東京で国際会議を開き、その際に西村政太郎氏を国際賞に表彰できたことはささやかな喜びである。

その後、東京農業大学にうつり、ゼミ学生を30人も抱えていたので動物実験や人臨床試験が自由にできるようになり、国立がんセンターでつくった仮説を実証することができた。私は糖尿病を食事と運動で自分自身実験的にいろいろコントロールしていたので糖尿病の恐ろしさは高血糖そのものではなく、合併症にあると信じていた。たまたま腎不全の予防に低たんぱく食が効果的と知り、その研究も進めていたが、動物性たんぱく質摂取の半分を大豆たんぱく質に替えると腎不全の進行は半分になるという論文を読み、筑波の研究所で動物実験をしてもらったところその通りの結果になったので驚いた。糖尿病性腎症は糸球体ばかりに目が行っていたが、尿細管こそが要と思い始めたきっかけである。そのころからアミノ酸よりもペプチド、ペプチドホルモンの研究にシフトし、財団を通じて知り合った京大の吉川教授には大変お世話になった。

糖尿病を薬なしで治せる、という新書の縁で国立健康・栄養研究所の理事長に呼ばれ、糖尿病の一次予防の司令塔を任されたことは大きな転機となった。たまたま食育基本法が成立し、民間委員として推進委員会に名を連ねたからである。その時石塚左玄由来の食養生の歴史を知った。第1期の5年はこどもに焦点をあて、栄養教諭制度の普及を図った。こどもの体験を重視し大豆や稲を育てることを要請し、今ではほとんどの小学校が取り入れている。第2期は生涯を通じた食育ということで中年のメタボを対象に肥満対策に力を入れた。第3期は今年からはじまったが、担当事務局が内閣府から農林水産省にかわったことから、医・食・農・環境連携をもっと進めてはどうかと進言している。これは食糧生産現場も重視し、里山文化を保全し、こんごの超高齢社会を維持する在宅診療、地域包括診療にもつながる地域主義にもつながるものである。国立健栄研にいてつくづくわかったのは日本の医師は栄養学を系統的に学んでいないのですぐ薬に頼ろうとする、管理栄養士は病気のことに詳しくないので教条的な食事指導になってしまう、患者はおいしいものを食べたいという欲望しかない、ということで、共通のプラットホームがなければ食事指導も成功しない、ということである。退任後に『医と食』を刊行し始めたのはそのような背景からであるが、幸い応援してもらえる人もいて隔月に発行し、8年目になりネットワークも拡がった。3年先の栄養学を目標に発行しているので人気も高くなっている。

ここ数年の栄養学関係の動きは怒涛のような波が起きている。卵、バターを減らし、植物油を摂る、というミネソタ研究の結果は40年経つと最初の予想とは反対にコレステロールを下げても心疾患の死亡は1.6倍にもなった。シスタチンというコレステロールを下げる薬は世界最大の売り上げであるが、これも心、腎に害をなすということがわかってきた。

糖尿病患者の血糖の基準値も高齢になればゆるめの方がよい、ということになった。機能性食品の出現もどれがよくどれが誇大広告か素人目には判断が難しい。日本で減り続けるコメの消費量は水田や農村の維持そのものを難しくしている。私は故西村会長の「大豆は世界を救う」というキャッチフレーズは正に正解と思ってきた。世界のあちらこちらで起きるテロを見ていると、佐伯矩の「人も国も食の上に立つ」という言葉もその通りと思っている。

不二製油は大豆の油から始まり、大豆たんぱく質の商売に発展してきた。私はこれからの時代はまた、油に回帰するのではないかと思っている。私は糖質制限食にからみ最近ケトン食の研究を始めたが、ケトンを燃料とするエンジンと、グルコースを燃料とするエンジンのハイブリッドのような構造を考えると説明しやすい、と考えるにいたった。ケトンエンジンの素は脂肪酸であり、米国では認知症予防に中鎖脂肪酸の摂取が人気になっている。しかし、効果が喧伝される影にリスクが後回しになるのは常である。

認知症に効果のあるEPAはα-リノレン酸から生合成されるが、効率は悪く、同じ炭素数18のステアリドン酸 (18:4n-3)からの効率はよい。日本では昨年12月にステアリドン酸産生大豆の隔離ほ場における栽培、保管、運搬及び廃棄並びにこれらに付随する行為について第一種使用規程承認が認められた。人への普及は時間がかかるかもしれないが、養殖魚の餌用にはすばらしい素材と思われる。

大豆の国内生産量は約23万トンで国内消費量約434万トンの僅か5%にしかならない。国内消費の大半を占める製油用が約308万トンであり、その大部分は輸入した遺伝子組換え大豆である。玄米、大豆食品には、コレステロールが存在せず、食物繊維、ビタミンが豊富で日本人の健康を支えてきた。水田の転作に大豆を、と農水に勧めているが、どうであろうか。生涯現役で辻説法をつづけ、ピンピンコロリを目指そうと思っている。

〈公益社団法人生命科学振興会理事長〉

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