随想・雑感 ダイズ多収実践者の“匠の技”

ダイズ多収実践者の“匠の技”

選考委員 國分 牧衛

わが国を始め東アジア諸国では多彩な大豆食品が流通しており、食材の重要な地位を占めている。伝統的な大豆食品は長年にわたる先人の知恵の結晶であり、近年では、新しい加工技術を活用して新規な大豆食品素材も次々に生み出されており、わが国の食品メーカーはこの面で世界をリードしている。一方、大豆食品の原材料であるダイズの生産技術に関しては、残念ながらわが国 の研究者は世界のトップランナーとはいい難い。生産技術の重要な指標である単収を比較すると、主産国のアメリカやブラジルでは2.5t/haに達しているのに対し、日本は1.7t/haに留まっている。そのため、わが国では、単収水準を大幅に高めることが重要な課題になっている。

私はダイズ単収を向上させるための技術的要因を長年研究課題としてきた。研究を開始した頃、1人の研究員の存在が私の頭から離れなかった。当時、ある県農試に勤務するベテラン研究員のO氏である。彼はダイズの栽培試験で毎年のように5~6t/haの多収を実現していたのである。O氏の試験圃場を見学したことがあったが、密植にもかかわらず徒長がみられない草姿をしており、上位から下位節までビッシリと莢が連なる姿に感嘆した。どうすればこのような見事な多収ダイズが実現できるのか?
O氏の成績書を読む限り、いわゆる“基本的な技術要素”を組み合わせた記載しか見あたらず、私の栽培方法と大差ないものであった。O氏と同じ県の試験場に勤務する中堅の研究員が、O氏と同様な栽培方法で多収に何度か挑戦したことがあったが、いつもO氏の収量水準にははるかに及ばなかった。O氏の多収技術は、私には“神業”のようにさえ思われた。

そうこうして何年か経過し、成績検討会議(東北地域の各県が一同に会する会議)の懇親会の折に、O氏に「成績書や昼の会議では説明できない技術のコツや秘密のようなものがあるのではないですか?」と思い切って聞いてみた。O氏は酒の勢いもあってか、いつもより雄弁であった。そして、「大事ではあるがあたりまえのことは成績書や論文には書いていない」と答えてくれた。O氏が指摘した“あたりまえのこと”の中に、“出芽を揃える”ことがあった。多収には出芽を揃えることがなによりも大事であり、そのためには、大きな種を選ぶ、播種前の砕土を丁寧に行う、播種の深さを一定にする、出芽後の個体間の競合を緩和するため千鳥に播く、播種後乾燥した場合は畝上にペーパーを敷いて土壌水分維持に努めることもある、などなど、実にいろいろな手段を講じていたのである。これらの手段は、論文をいかに丁寧に読んでも窺い知れないことばかりであった。O氏からお話を伺ってから私は、O氏の指摘した“あたりまえ”の多収の技術のいくつかを検証してみた。前述の出芽を揃えることの意義に関しては、人為的に出芽ムラを作出してその影響をみたが、ムラのある区は一斉に出芽した区に劣ることが証明され、出芽を揃えることの大事さを実感したものである。

ひるがえって、わが国の農産物の品質の高さは世界的な評価を得ており、日本の農家の技術水準は世界でも指折りである。なかでも、それぞれの品目に“○○作りの名人”と呼ばれる名人(達人)がいて、その人たちの作った農作物には破格の値が付いたりする。このような名人には、専門書には書かれていない、いわば“匠の技”があるに違いない。作物生産の理論や技術開発を目指す研究者として、 “匠の技”に迫り、会得したいと願っている。そして、その技の意義を科学的に解明し、理論と実践の狭間を繋いでいきたいものである。

〈東北大学名誉教授〉

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