随想・雑感

節目に思うこと

前理事 森 友彦

 古希を少し過ぎた二年前の冬、二度目の定年退職を畿央大学で迎えようとしている矢先に、青天の霹靂ともいうべき事態にみまわれました。進行性の胃がんが見つかり、胃を全摘出することになって、退職と入院と生涯現役活動の停止を一度にまとめて経験することになりました。これまでにもいくつかの大きな節目はありましたが、いずれの場合もその先に何かがあるという転機に当るものであります。今回はこれまでに経験したことのないものであり、先が見えないというか先のない、かなり限られた状況に身を置くことになりました。なすべきことは療養に専念することと心を決めて、世間とは極力無縁を心掛け日々を過ごすことにいたしました。また、このときの心境でもう一つ大事にしていたのは、心を折らないで毎日を生きるということです。その後、療養から静養と回復に向かうなかで二年が過ぎまして、現在体力的には半人前に手が届くか届かないかの身ながら、先を見つめて少しずつ生涯現役を実践してみようと考えるようになってきました。どのようなことになるのかは未知数でありお天道様まかせですが、とりあえず何ができそうかを考える助けとして来し方について記憶に残るいくつかの節目を取り上げて反芻してみたいと思います。

 これまで半世紀にわたって研究教育の世界に身をおいてきましたが、その出発点になるのが1965(昭和40)年博士課程への進学です。その歓迎会の席で新入生の一人ひとりに一言感想を述べる機会が与えられました際に、純粋に自分の人生にとって大きな出来事だとの思いがありましたので、今思えば気恥ずかしいような決意を表明しました。それは、名声とか栄誉とかのためでなく教科書に載るような新しい知見を見出すために研究に邁進いたしますということです。そのときの発言は自分自身への誓いでもあり、その後今日にいたるまでずっと研究者の芯であり続け心構えになっています。

 1971年から1972年にかけて米国ペンシルヴァニア州フィラデルフィアのペンシルヴァニア大学歯学部生化学教室でポスドクとして一年間過ごしました。仕事の面でも日常生活においても、日本に比べて、アメリカというのはなんと自由で軽快なんだろうというのが最も印象的でした。また、容赦なくはっきりと批判したり厳しく遠慮なく非難することはあっても、悪口や陰口を言ったり貶なしたりするような陰湿なことはほとんどなくフェアに振る舞うのが当たり前という雰囲気なのも気に入りました。フィラデルフィアでのこのような恵まれた環境で過ごした経験は帰国後日本での生活においても生かしていきたいと今日にいたるまでずっと思っています。その間、時間が経つにつれてこのような気持ちはアメリカかぶれではないかということも頭をよぎることがありましたが、現在にいたるも心変わりすることなく続いています。
2004(平成16)年、京都大学を定年退官し畿央大学に勤務することになりました。京都大学では、旧食糧科学研究所(33年間)および農学研究科(3年間)で大豆に関する基礎研究を主に行いました。畿央大学に移ってからは主として応用開発研究に携わり大豆スイーツの開発を進めました。ほぼ半世紀にわたる現役時代の大半を大豆とともに過ごしてまいりました。そのご縁で多くの人と出会いがあり、研究教育の仕事に存分に取り組むことができました。また、それに加えて、食品研究に携わる研究者の活動を支援・助成する諸団体で委員や役員を務めさせていただき、食品研究の振興にささやかながらお役に立つ仕事に関わることができました。その中でも、京都大学時代に始まり畿央大学時代にまでも続く不二製油(株)との長いお付き合いは、応用開発研究を意識しつつ基礎研究を進めることの面白さを気付かせてくれるとともに、研究の間口を広げることにもつながっています。まことに幸運で有難いこととあらためて感謝の気持ちで一杯です。これに加えて、不二たん白質研究振興財団とのご縁では、評議員および理事として、食品科学の発展と研究者を支援する事業の運営面に携わる機会に恵まれました。定例の会議では、財団の研究助成事業に関していつも前向きで有意義な議論がなされ、特に研究助成のあり方などに関して意見や提案を述べさせていただくとともにメンバーの先生方のご意見を拝聴することができました。本財団の存在は多くの研究者にとってまことに心強く、今後も本財団の活発な活動を切に願っています。

 節目節目を転機にすることで新陳代謝が促され、さらに適切な世代交代があって、人も組織もひいては世の中も成長し発展しつづけるものと思います。また、これから少し先のことになりますが、IUFoST(国際食品科学工学連合)国際会議を日本で開催してはどうかという動きがあるようです。日本では、1978年に京都で開催されて以来のことであり、その際に発足したIUFoSTJapan が中心になって取り組んでいただけるものと期待しているところです。これが実現いたしますと、食品研究のさらなる発展にとって大きな節目になるにちがいありません。

 最後に、大豆への感謝の気持ちとして、将来への希望を二つ書かせていただきます。それは、大豆ミュージアムの開設、小麦粉や米粉に匹敵する大豆粉の開発とそのための品種改良です。そし て、その一歩を踏み出し実現に向かうために本財団のリーダーシップが不可欠であります。どうぞよろしくお願いします。

 本稿を終えるに当たり、これを次の新たなステップに踏み出す節目にしたいと思います。

〈京都大学名誉教授〉

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