随想・雑感

渡邉篤二先生のご逝去を悼む

元評議員 齋尾 恭子

 平成25年3月6日、渡邉篤二先生は、享年95歳でご逝去されました。先生のご他界を哀しみ、心より、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 渡邉先生は、戦後の昭和20年農水省食糧管理局研究所に入所され、食糧難に対処する多くの研究を手がけられました。しかし、昭和32年頃から当時の桜井芳人所長が組織された新しいチーム研究のリーダーとして、日本の伝統的技術として需要が多いにもかかわらず、経験と勘とに頼っていました豆腐業界に科学の光を灯す一連の研究を進められました。その成果は昭和35年の食糧研究所報告14号別冊にまとめられています。それは現状調査から始まり、豆腐・油揚げ製造工程の標準化、原料大豆の豆腐適性、各工程の科学的解明と対処など、極めて基礎的でありながら実用性に富んだ内容です。この別冊は豆腐業界の隠れたベストセラーとなりました。それ以降、先生は豆腐以外にも、凍り豆腐製造、大豆タンパク食品製造等にも広く関与され、学会や産業界において、押しも押されもせぬ第一人者となられました。一方、先生はアメリカ農務省北部研究所にご留学の際も、彼地で豆腐製造実験をなさったと聞いております。それらの経験から、大変英語が得手でおられましたのでアメリカの大豆研究者との交流を始め、国連大学を通じてインド国立食品技術研究所など海外研究所との交流に先鞭をつけられました。アメリカからの肉類似加工品の開発(後の大豆タンパク食品)が日本に導入されました時も、上記のようなご経験からいち早く目をつけられ、産業界での製品開発のために、行政的あるいは基礎研究面で関与されました。

 先生は共立女子大学に移られましてからは、所長でいらした頃の組織力を活かされ、学校運営にもご助力される一方、研究者としては餡(あん)の加工製造に大変興味を持たれ、餡の品質を決める餡粒子について調べられました。その後、先生は東京都食品技術研究センター設立の準備会委員として、東京都の食品産業を組織化し、連結を強める要としてのセンターの役割を強く意識した研究機関設立を構想され、初代所長にご就任後はその基礎固めに鋭意努められました。渡邉篤二先生は著作も数多く、主な書籍だけでも10冊以上が上げられます。全ての職を退かれましてからも国内外の伝統食に興味をもたれ続け、小さな論文を発表されています。

 先生が昭和32年から大豆の研究を始められたました頃、私は食糧研に入所いたしましたが、渡邉先生の下で研究を始めましたのは昭和40年頃で、フィリッピンにある国際稲研究所で米タンパク質の一成分を研究し、塩水に溶ける大豆タンパク質に強く惹かれて分析研究室から移動しました。先生のご指導の下、豆腐など大豆タンパク質の凝固(フィチン酸の関与、タンパク質7S,11S成分による差異など)を研究、先生が大豆肉類似製品に興味を持たれたのに準じて、大豆タンパク成分の100度C以上での変性機構に研究の幅を拡げました。この研究は不二製油㈱から派遣された寺嶋さんらと一緒に研究しました。

 先生は大変静かな方でしたが、一面大変厳しいところもありました。先生は私が研究した頃は既に偉くなられていて、白衣を着て一緒に実験室に立った記憶はありません。しかし、頻繁に実験成果をお討議くださり、数々の示唆と助力をいただきました。また、外部への紹介や推薦などもして下さり、具体的には、研究のために必要な機関や会社への道筋、また大豆タンパク食品JAS選定委員など行政的役割への推挙をして下さいました。そして、私が藤巻先生のところで博士号を収得できましたのも、食総研研究室長、部長あるいは東京都立食品技術センター所長になれましたのも、全て先生のお陰です。その時代の方には珍しく、女性を平等に扱ってくださいましたことは感謝しても感謝しきれるものではありません。決して甘やかさず、私が産休を取りましたときにも翻訳の仕事を山のように手渡されました。

 先生は、竹のように強靭でしなやかな方で、古武士の風格をお持ちの方でした。研究以外では旅がお好きで、写真撮影、釣り、若い頃は野球やテニスもなさいました。研究面のみでなく、人格的にもその清冽な生き方に大きな影響を受けたように思います。薫陶を受けた者の一人として、先生のことを終生忘れ得ません。

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