随想・雑感

財団活動の一層の深化を期待します

前評議員 矢野 俊正

 長年に亘って本財団(およびその前身である「大豆たん白質研究会」)の選考委員・評議員を務めさせて頂きましたが、本年、評議員を退任しました。この間、いろいろと過分なご配慮を賜った研究会・財団関係者の方々(故人を含む)に厚く御礼申し上げますと共に、今後、本財団の活動が一層深化されますよう期待しております。

 「大豆たん白質研究会」以来のお付き合いの中で最も強く印象に残っていますのは、本財団名誉理事長でした故西村政太郎氏の大豆たん白質研究支援に対する熱意でした。同氏は「大豆たん白質研究会」の更に前身の「大豆たん白質栄養研究会」の設立時から理事長をお勤めになったのですが、専門が大豆たん白質からやや離れている私の目には、なぜ西村氏が長年に亘り研究支援に情熱を注がれるのかは不思議に映る程でした。しかし、私の疑問は、研究会設立当初の頃の方々が書かれたものを読むと解消します。大学側の人たちも大豆たん白質(栄養)研究に情熱を注いでおり、それは企業活動に重要な示唆を与えるものだった! つまり、企業と大学との間に濃密な“Give and Take”の関係が成立していたわけです。この当時に比べると、財団活動を介して結ばれる、企業活動と大学等で行われる基礎研究との間の“Give and Take”の関係はやや希薄になっているように感ぜられるのは私の思い違いでしょうか。

 助成を受けている大学側の研究は、研究の進歩につれて細分化し多様化します。これに対応して、財団の研究支援体勢は、複数の専門分野を対象とすべく広がりました。一方、企業活動も進化し、必要とする情報も変化している筈です。この辺で、かつて産·学両者が情熱を傾けて築いた“Give and Take”の関係を、もう一度構築し直す工夫をしてみるのは如何でしょう。このような作業は、企業のためだけにするわけではありません。大学側も、世のニーズの変化を知り、研究の視点を柔軟に変えることは大切なことでしょう。財団の「寄附行為」第2章(この法人の)目的に“学術の発展及び国民生活の向上に寄与する”と書いてありますが、“国民生活の向上”に寄与する道には、財団を直接支援している企業の活動が色濃く反映されて然るべきでしょう。要するに、財団の研究支援活動も、基礎研究とその応用の両者のバランスを考えつつ、常に見直されて然るべきだと思います。

 財団側からは、やや遠慮がちに、具体的な要望も出されています。いろいろと明らかになってきた栄養・生理効果を持つ大豆たん白質をもっと食べてもらうために、調理科学的研究からの提案を期待しているようです。ただ、失礼ながら、調理科学が財団側からのこの要望に応えられるのは、かなり限定された範囲内になりそうです。“科学的”アプローチに高い壁を作って抵抗する魔物が潜んでいるからです。この魔物の性質は、私が長年食品工学の担当者として戦わねばならなかった魔物と同質です。私が食品工学で使った表現を使わせていただきますと、魔物は「(食品加工または調理の)入口と出口の制約条件」です。「入口の制約条件」とは、材料が生物素材でなければならぬこと:「出口の制約条件」とは、最終製品が“旨いもの”でなければならぬこと。

  “旨いもの”を作るのが科学的・工学的アプローチにとって難問なのは説明不要でしょう。でも、生物素材は何故魔物なのでしょう? 答は、多成分・不均質・多様といった化学的特徴のほかに、半固体で水と気泡が共存する、といった物理的特徴があり、さらに、物理的・化学的・生化学的状態は時間とともに変化するからです。だから、工学的用語を使うと、予測に必要な物性値が不定であるばかりか時間とともに変化し、単位操作は多目的にならざるを得ないばかりか、変化し続ける状態の中何をどう制御すればよいのかが不明で、…といった状況が生まれます。これが生物素材の持つ魔性なのです。

 では、大豆たん白質を“もっと食べてもらう”ためにはどうすればよいのでしょう?

 私のお薦めは、魔物とは戦わずに、魔物との平和共存を目指すことです。技能と科学・工学との協力関係を築く。ついでに、“もっと食べてもらう”人の範囲を、日本に限らず、世界に広げて考える。すると、食文化や生活習慣などの比較研究も重要な情報を提供してくれるでしょう。“国民生活の向上に寄与する”という法人の目的を逸脱する、というようなご意見に対しては、一度世界に視野を広げた上で日本に視点を戻す、とお答えになればよい。技能的な研究は会社側が分担するにしても、大学の研究者と大きな目的を共有して協力し合う場が形成されるなら、故西村政太郎氏の時代にあったような、情熱の籠った“Give and Take”の関係が復活するかも知れません。

 退任した者が差し出がましいことを申し述べましたが、財団への御礼の気持ちから出たものとお許し下さい。

 貴財団活動の一層の深化を期待しています。

〈東京大学名誉教授〉

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