随想・雑感

内海先生を悼む

選考委員 廣塚 元彦

 昨年(2008年)12月1日に58歳の若さで亡くなられた京都大学教授内海 成先生に心より哀悼の意を表します。

 私が、先生の体調が良くないことを知ったのは、昨年の春だったと思います。しかしその後お見受けしたお姿や、また、学会などで先生の門下生が集まった時に催された食事会にも出席され、楽しく弟子たちとお話されている様子を、弊社にも数人いる先生の部屋の卒業生から聞くに付け、病気の治療がうまく進み、お元気になられているのだとばかり思いつつ、毎日を過ごしていました。

 ところが、その年の暮れ、それも月が替わったその日に、先生の訃報(12月1日午前1時42分、心不全のため大津市の滋賀医大病院で死去、享年58歳)を耳にし、本当に驚いたことを今も思い出します。人間の命のはかなさ、そして悲しみを超えたむなしさ・やりきれなさを感じ、お葬式の当日を含め、しばらく呆然とした日々を送ってしまいました。

  内海先生と最初にお目にかかったのは、もう20年以上前のことになります。私が不二製油の研究所から京都大学食糧科学研究所の鬼頭先生のところへ研修生としてお世話になったことがきっかけでした。ご存知のとおり鬼頭先生は永らく当財団の選考委員長をお勤めになり、今も理事として財団の運営にご尽力いただいています。その鬼頭先生の教室で私は内海先生を知りました。年齢の近いこともあり、また、大学の先輩にもあたる内海先生とは、先生と研修生というより、むしろ友人の一人として、京大食研での研修修了後もお付き合いをさせていただくことになりました。

 内海先生の業績は、私の知る限りでは大豆たん白質を遺伝子レベルで研究され、各たん白質の遺伝子を単離して、それを大腸菌で大量発現させることに成功されたことだと思います。一種類のたん白質の性質を深く知ろうとした場合、どうしても純度の高いサンプルが大量に必要となります。それまでの食品たん白質の研究においては、まず目的とするたん白質を含む画分をとして取り出し、それをいろいろな手法で分離・精製することにより純化するのが通常の方法で、大変な労力を必要としました。しかし先生は、まず目的とするたん白質の遺伝子を取り出し、一種類のたん白質を大腸菌で大量に発現することに挑戦されました。もちろん簡単なことではなく、今に比べると遺伝子を取り扱う技術も進んでいなかった中で、しかも植物のプロトプラストからのクローニングには、高度な知識に裏打ちされた技術と、大変なご苦労があったとことを伺いました。

 しかし、この技術の成果により、大豆たん白質を構成する各サブユニットの性質に関する知見が飛躍的に向上しました。また、各サブユニットの純度の高いサンプルが得られることにより、たん白質の結晶調製が容易になり、X線回折法を用い、大豆たん白質の高次構造が次々と明らかになりました。その一方、大豆の品種による物性の差がこうしたサブユニットの多型によることも明らかになりました。

  さらに先生はこの技術を発展させ、大豆中でのたん白質の発現や貯蔵の生理的プロセスについても重要な発見を次々となされ、いろいろな学会で功績を認められ、その成果は枚挙にいとまがありません。

 また、当財団の選考委員としてもご活躍になり、日本農芸化学会の評議委員会でもよくお目にかかりました。

 このようなすばらしいご活躍の陰に病魔が潜んでいたとは、返す返すも残念でなりません。また、医療技術の進んだ今日、その治療法を用いても延命することができなかった、言い換えればそういう難病に取り付かれたことを悔やんでも悔やみきれない気がます。奥様を始めご子息や親御さん、ご親族の皆様の無念さを思うと、言葉がありません。

 聞くところによれば先生の教授室も、まだお元気で仕事をされていた時の文献や資料がなかなか片付けられず、後任の方々も戸惑っておられるようです。しかし、我々を含め関係分野の研究に携わるものとしては、先生の業績を活かし、さらに研究を進めるとが、大きな供養となるように思います。

 文末になりましたが、再度先生が安らかに永眠されることを祈り、また親族の皆様へ心よりお悔やみを申し上げ、内海先生への哀悼の文とさせていただきます。

合 掌

〈不二製油(株)フードサイエンス研究所長〉

  • 随想・雑感