随想・雑感

大豆たん白質研究に思うこと

選考委員 西成 勝好

 先祖代々から大豆の利用法として素晴らしい調理・加工法が考案され、日本の食文化の重要な一翼を担っている。豆腐、湯葉、納豆、味噌、醤油など伝統食品の中には素晴らしい知恵が結晶化されている。

 最近の日本の食品科学の研究の動向を見ると、生理機能というキーワードに関係する研究が圧倒的に多くなっている。医食同源という言葉から見ても、食にその重要な役割が期待され、食にはまず栄養ということが要求されることは当然である。同時に、生きる喜び、精神的な充足が希求されることも確かである。幸せにとって、おいしいものを親しい人と頂戴することは不可欠なことであろう。

 大豆たん白質の加工機能には、ゲル化(豆腐)、皮膜形成(湯葉)、乳化などがあるが、これらの現象について分子レベルで理解されているわけでもない。ゲル化についてみると、11Sが主要な役割を果たし、7Sがそれに次いで重要であることが報告されてきた。2Sあるいは15Sはあまり調べられてこなかったが、最近でもこれらと違う成分が特異な機能を有するとか、2Sには乳化性、起泡性などにおいて優れた機能があることなど、新たな脚光を浴びている。さらに、これらの加工機能は生理機能と密接に関係しているはずであるが、その関係について不明なことが多く残されている。

 日常の食事においては、精製された一種類のたん白質を摂取することはなく、他の食品成分と一緒に摂られるのであり、その際に同時に摂られる他の成分がそのたん白質の消化吸収にどのような影響を及ぼすのかというようなことは体系的に理解されているとは言いがたい。食物繊維が同時に摂取されると、消化酵素によるたん白質の分解が遅延することはレオロジー測定などにより定量的に解析できる。しかし、この機構については、不明であることが多い。

 これらの問題が解明されれば、新しく、便利で、おいしく、かつ栄養面でも優れた食品の開発につながることが期待される。食品には多様性の追求が欠かせない。旧約聖書のマンナはおいしくて栄養があったが、毎日同じものしか食べられなくなった人々は、しまいにはマンナを呪い出す。「人類の幸福にとっては、新しい料理の発明は新しい天体の発見より大切である」というブリア・サラバンの言葉を思い出すまでもなく、新しく、便利で、おいしく、かつ栄養面でも優れた食品ができることは、即、幸せにつながる。

 コンビニがデパートやスーパーを凌いで各地に進出したが、便利さだけが追求されても、ゆとりあるいは環境という観点からは難しい問題を含んでいることも確かである。しかし、忙しいときには加工食品が便利であり、適切に取り入れることは有益であろう。スローライフということが実践できる人は幸せであろうが、料理をすることが好きな人でも毎日何時間も料理に時間を掛けることは難しいであろう。朝食の時間が取れないか、準備ができないかして、朝食を摂らない若年層が増えているが、そのようなことが続けば、後に虚弱な体質の若者が増えても困るのではなかろうか。健康のありがたさは一度失ってみないとなかなか気がつかないものであろうか。

 私は、今、三度目の英国暮らしをしている。英国では昔からインゲン豆のトマトソース煮(baked beans)が食されているが、他にも、グリーンピースなども頻繁に食されるし、ヒヨコマメ、レンズマメなどもしかりである。日本では煮豆のほかに、優れた伝統食品が発明され、改良が続けられて、日常生活で簡単に入手できることはありがたい。これは食生活を豊かにする上で重要な役割を果たしてきたが、大豆たん白質の研究の発展がさらに貢献できることは疑いのないところである。

〈大阪市立大学大学院生活科学科客員教授〉
〈英国北東ウェールズ大学・PHRC客員教授
〈上海交通大学化学・化学工学部高分子科学工学科客員教授〉

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