随想・雑感

イソフラボン研究とがん予防

選考委員 渡邊 昌

 5月末に米国ソレイ社のヤン博士をまねいて東京の大手町でプレスリリースが行われた。60名を越す各社の記者が集まった。私はこの会の司会とコメンテーターを引き受けたのだが、それはソレイ社がFDAに大豆タンパクのがん予防作用をヘルスクレイム(健康表示)にしたい、という申請書を3月1日に提出し、その根拠を説明する会だったからである。

 私は国立がんセンター研究所疫学部長を拝命する前の1983年、1984年と米国の国立癌研究所NCIに留学し、臨床疫学を学んでいた。がんが予防できる疾患である、というDollとPetoの論文が1983年に出版され、NCIグループによる中国リンシャンでの胃がん予防研究(介入試験)がベータカロテンのがん予防の可能性をしめした時期で、今から思えば、発がん物質探しからがん予防物質探しへと、がん研究の大きな転換点であった。

 日本は胃がんを除けば世界的にがんが少ない国である。がん研究には長期間にわたって多数の住民を観察するコーホート研究がもっとも適していると思い、総長や厚生省の支援を得て全国12保健所管内で14万人近い住民の参加によりスタートさせた。これは現在10年以上の追跡を追え、味噌汁の乳がん予防効果など、続々と新知見が出始めている。私はホルモン関連がんの研究もしていたが、乳がん、卵巣がん、子宮体がんなどの県別死亡率が、県別の大豆摂取量と逆相関していることを発見し、大豆中のイソフラボンが関係していると考え、ヘルシンキ大学のアドラークロイツ教授の協力をえて血中イソフラボン量の定量で確かめることができた。

 それ以来20年になるが、イソフラボンの研究は動物実験からヒトへの介入研究にまで発展し、更年期障害や骨粗しょう症の予防効果が実証できた。また他のフィトケミカルの影響も調べられる機能性食品因子データベースFFFの作成にまでこぎつけた。なかでも大豆たん白質として報告されていたさまざまな効果をイソフラボンによる効果と区別したいと思い、不二製油に介入研究用のイソフラボン錠の作成を依頼したのが、私と不二製油のお付き合いの始まりである。偶然であるが、当時廃棄物でしかなかった大豆胚芽を利用したのが良かった。欧米ではゲニスタインをもちいた研究が主流であったが、胚芽にはダイゼインがゲニスタインの5倍もあり、しかも生理活性がより高いとわかったエクオールはダイゼインが腸内細菌によって変換されたイソフラボンであったからである。現在イソフラボンの疫学研究は、エクオールの産生能を加味した健康影響に視点がうつっている。

 慶応義塾大学医学部は食と健康に早くから着目し、食養研究所を大正15年につくり、病院給食も最初に施行した病院である。残念ながら現在は分子生物学や遺伝子研究におされ、医学畑で食事と栄養を研究する人はほとんどいない。そのためか私が東京農業大学に移ってから農芸化学や栄養食糧学会のかたがたと知り合うことができた。西村名誉会長や大豆たん白研究会の方々の長年の大豆研究成果を知ったのもこのようなお付き合いを通してであった。

 国際的にも大豆の健康影響は注目をあびている。欧米のスーパーマーケットでも大豆食品コーナーがかなりの面積をしめるに至った。冒頭のソレイ社の申請書に引用されている論文の3分の1は日本の研究である。一昨年サンデイエゴで開かれた第4回国際大豆学会で長年の功績に対し西村政太郎氏に名誉ある功労賞が贈られたのは当然といえよう。今後食品の表示にがん予防効果など、もっと明瞭に記載することが可能になれば国民のがん予防意識がさらに高まると期待できる。

〈東京農業大学応用生物科学部教授〉

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