随想・雑感

食科学を通じて健やかな人生を

選考委員 今泉 勝己

 健やかな人生:平成15年度に福岡で開催された財団主催の公開講演会「大豆のはたらき―食を通して健やかな人生を―」において、「大豆は生活習慣病を防ぐ」というテーマで講演する機会を得た。健やかな人生のための必要条件は、高脂血症,高血圧症,糖尿病,肥満症,ガンなどの生活習慣病にかからない健康を維持することだ。良い生活習慣によって確実に生活習慣病を減らすことができる。しかし、どんなに生活習慣に注意を払っていても生活習慣病にかかりやすいヒトがいる一方で、好ましくない生活習慣を続けていても生活習慣病と縁が薄いヒトがいるのも事実である。このような個人差も含め食に関わる良い生活習慣について指針を導き出し、支えるのが食科学である。

 個人差:卵をひとつ食べても血清のコレステロール値が高くなるヒトもいれば、10個の卵を摂取してもそうならないヒトがいる。このような個人差に関わる生理的な応答性には多数の遺伝子が関与しているとみなされており、あるひとつの遺伝子の欠損によって生理的な作用が著しく弱められたり挿入によって増強されたりする実験動物で見られる極端な場合とは異なる。食事に対する個人の応答の違いも食科学の範疇であり、個人の生理的な特徴がわかっていれば食科学によって対応できるのである。この場合は、卵に含まれるコレステロールに敏感なヒトは卵の摂取を避けるという食環境に身を置くことで自衛策を講じることができる。

 食環境:ヒトの食行動は食環境に大きく影響される。それはそのヒトが好むと好まざるとに関わらず置かれた環境に支配されるからである。日本人にとって欧米風の食生活の全てが生活習慣病をもたらすものではないように、地域に根ざした食材の摂取・調理や家庭の食卓のしつけなど日本型の食生活が日本人の健康維持に全て適しているともいえない。食文化に根ざした食習慣は食科学によって検証されて初めて科学的な情報になり得る。例えば、日本型の食生活が健やかな人生に関係が深いことは鎌倉時代の高名な僧侶が当時としては長寿であったことから窺える。その時代の食生活を記載した書物から、彼らの食事の中心には大豆やその製品が据えられ頻繁に摂取していたようである。現在の栄養学の知識では、大豆やその製品はアミノ酸や脂肪酸バランスに優れ、ビタミンやミネラルも豊富であることから、当時の僧侶の食事は栄養素欠乏に悩まされていた庶民のそれと比較して、栄養学的に優れたものであったと思われる。また、京都大学医学部を中心に行なわれた現代の禅僧の食事調査から、彼らの食事は一般のヒトのそれと比較して大豆やその製品が豊かであり、そして、臨床科学的所見では生活習慣病が少ないことが指摘されている。

 食科学:食と健康との関係について科学的な根拠が示されている例は多くはない。その中で、大豆やその製品に含まれる成分は他の食材のそれと比較して身体の健康との関係が自然科学的に立証されている例が多い。健やかな人生には身体とともに精神の健康も含まれるので、そのような観点からの食科学の進展も必要である。また、食品の生理機能性の解明、加工・調理特性の改善・向上や安全性の付与などの自然科学的な取り組みだけでなく、食文化を含めた社会科学的な内容が食科学には含まれなければならない。

 健やかな人生と食科学:健やかな人生を支えるために食科学がある。しかし、もっと根本的には、健やかな人生は人生の目的ではなく、「愛・信頼・楽しみ・安らぎ・生きがい」などの目的のための手段である。したがって、財団が行なう食科学の評価や講演会はこのような目的に照らして行なわれることが大切であると思う。

〈九州大学大学院農学研究院教授〉

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