随想・雑感

 “古人のたわごと”大豆から市場経済へ

元選考委員 山本 章

 昔、ある人に聞いた話であるが、太平洋戦争の終わり近く、食糧の無くなった日本に旧満州から大豆を運ぼうとしたが船はことごとくアメリカ軍に撃沈されて一隻もない。そこで豆満江河口近くの港から大豆を筏に乗せて日本海に流した。筏は海流に乗って東北に進み、そのうち日本本土のどこかに、場合によっては津軽海峡や宗谷海峡を通って太平洋岸にでも流れ着くだろうという想定であった。しかし実際は、日本からアメリカ本土を攻撃すべく気流にのって流した風船爆弾と一緒で、目的通り到達したものは殆どなかったらしい。

 子供の頃、そして戦後のかなりの期間、水田の周りの畦には枝豆が植えられていた。家々では、毎年9月、10月の名月の日に、それぞれ豆と里芋の煮たのを供えて、満月を愛でたものである。豆と芋は米と一体になり、そして、菜種は麦と一体となって農村の風情を作っていた。嘗ての日本の食糧は自然の一部として育てられていたのである。しかし子供の頃、大切な蛋白質源としての大豆も日本国内産だけでは充分に賄いきれないことを知らなかった。

 大学の教養課程で受けた経済学の講義で初めて、畜産物を育てるには人が直接食べるに比べて5倍の穀物を必要とする、ということを教わった。当時は労働運動とともにマルクス、レーニン主義の経済学が全盛の時代であり、反米思想と何となしに結びついたような感、無きにしも非ずであった。これは今でも生きている。もう随分前になるがバンコックであった国際栄養学会の折、われわれのセッションで、あるアラブ系の研究者が立ち上がり、“遺伝素因やなにやと論議している間に、われわれの国では多くの人々が飢えている”と訴えて、場内騒然となったのも記憶に新しい。

 医学部4年生の折、卒業試験の合間に、私は吉川英治作の新書三国志に読みふけった。いまでもよく覚えている。曹操の四男に曹植という詩にたけた人がいた。長男の曹丕の時代になって、讒言に陥って兄の前に引き立てられた時、曹植は咄嗟の詩を読んだという。“豆を煮るに豆殻を焚く。豆は釜中にあって泣く。もとこれ同根より生ずるに、合い煮ること、なんぞこれはなはだ急なる”。そして曹植は死を免れたという。ちなみに、私の人生訓は吉川英治に負うところが大きい。

 今日本はグローバリゼーションの渦の中でもがいている。しかし、本当の産業(生産)は決して落ちていないのである。やられているのはバブルに踊った挙句アメリカ流の資本主義に引っかき回されている経済界である。ノーベル家の人々がノーベル賞のなかに経済学賞をつくるのに反対したと云うことをある新聞で読んだが、これには全く同感である。いま持て囃されているケインズ流の経済学がはたして世界の総ての人々を幸福にするとは決して思われない。日本の経済学者は環境を考慮した日本独自の、そしてヨーロッパやアジアの国々の模範となる経済学を樹立すべきであろう。いま日本の産業は無駄をなくし、物をそれぞれの特性をいかして徹底的に使い切ることで環境的効率をあげている。不二製油もその一つであるが、財団の貴重な基金がそうしたことに発展的に役立って行くことを期待したい。

〈国立循環器病センター研究所名誉所員、箕面市立介護老人保健施設長〉

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