随想・雑感

財団の生い立ちを想って

評議員 橋田 度

 この財団が、昭和54年(1979)6月6日に、その前身大豆たん白質栄養研究会として産声をあげてから、平成9年(1997)4月4日付けで財団法人の設立を許可され、その後も各位のご尽力により着実な発展を続けている現在までを顧みるとき、生い立ちの期間の長い、まさに人の成長にも似た歴史の流れを実感するものであります。

財団時報の第1号から第3号までは、西村名誉理事長、第4号は安井理事長が、その「ご挨拶」で役員、評議員、選考委員各位の格別のご貢献に対し、深い感謝の念を述べておられますが、研究会の創立当初から事務を担当させて頂いた小生と致しましても、ささやかな立場ながら、改めて御礼を申し上げたく筆を執らせて頂きます。

 学識者各位には、学界で最高レベルのお仕事をなさっておられるなかで、恐らく簡単にはお時間を頂けないのが普通でしょうが、事務上の打ち合わせをお願いした場合にも、皆様は何時も快く応じてくださいました。厚顔にも私淑という言葉を使わせて頂きたい位ですが、未熟な小生は事務の話と共に色々なお話を伺う事が出来、貴重な人生体験を学ばせて頂きました。

 そのうちで故人となられました方への想い出を述べます。

 井上五郎先生の徳島大学医学部栄養学教室では、先生のご性格にもよるのでしょうが、教室全体がご一家と云う感じで、先生は勿論、教室の諸先生からも大変親しくして頂きました。井上先生は一方では磊落な方ですが、研究の進め方、評価では極めて厳密で、その真剣な御姿勢に何時も感服しておりました。

 芦田淳先生はご退官後、大幸財団の理事長をなさっておられましたが、財団法人のあり方などについて懇ろなご教示を賜わりました。大幸財団の風格のある落ち着いた建物にお伺いしたことを懐かしく想い出しております。

 不二たん白質研究振興財団は、設立前に18年間にわたる研究会という揺籃期間を経ておりますが、これは特徴でもあり、貴重な経験ではないかと思います。「大豆たん白質栄養の基礎的並びに応用的研究の進展を計る」という目的の下、研究体制が充分に育てられて財団設立を迎えたと言えましょう。当財団の理事、評議員、選考委員の学識者各位は、主要な学会の指導的な地位を占めておられますが、この研究会につきましても、小さいながらも一つのまとまった研究団体に育てて頂き、ここに財団として展開するに至ったことは誠に有り難いことと思います。

 一方、研究助成財団という見方から云えば、研究助成に応募して頂いている研究者の方々も、重要な役割を担っておられます。研究会として発足した当初は、委員会委員の先生がほぼ各課題の組み立てをお作りになり、それに相応しい分野を専攻されている研究者の方々に研究を委嘱するという形式でした。平成3年(1991)の臨時理事会で、研究課題は公募によることとし、その選考は選考委員会で行うことになりました。そして募集案内を主要学会誌に掲載して頂くことになりました。財団としての課題募集になってから、お陰様で、採択課題数に対する応募数は2~3倍,第6期は4倍近くに達しております。それだけ競争は厳しくなり、ご応募頂いている研究者の方々のご要望に沿え難くなっているわけです。廣い分野にわたり、多彩な研究課題を提案して頂いている方々があってこその研究助成ですから、応募者の方々に厚く御礼申し上げます。

 ここでもう一つ御礼申し上げたいのは、募集案内を快く掲載して頂いている各学会誌事務局の皆様です。殆どの応募者が学会誌に掲載された募集案内を読まれて応募されていることと思います。当財団の研究範囲が幅広い学術分野を網羅しているのは、皆様方のご援助によるものと思います。

 このように、各分野でご専門の立場でご貢献、ご尽力頂いている皆様方に深く感謝申し上げます。

〈元東洋食品工業短期大学教授〉

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